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東遊記

浮島 出羽国山形より奥に大沼山といふ所あり、其山主お大行院といふ、修験道にて俳諧の数寄人、俳名お鷹窻といふ、此山の縁記お聞けば、人皇四十代のみかど、天武天皇の朝、白鳳年間、役行者の開基にて、倉稲魂神勧請の地なり、此山のみたらしの大池あり、大沼と名付く、是は池の形大の字に略似たるおもて名付しとかや、此池に奇妙の霊異あり世間未曾有の奇事なれども、かヽる僻遠の地なる故、尋入る人も希々にて、知る者すくなし、いかなる事ぞといふに、池の中に六十六の島ありて、其島時々に水面お遊行す、島の数六十六といふは、日本成就の形相といふ、其昔行基菩薩も此池に至り、実方中将も此浮島お見物し給ひしとぞ、実方遊びたまひし時、 四つの海波静なるしるしにやおのれと浮て廻る島哉 と詠置給ひしといふ伝ふ、池のほとりに古松二株あり、一株お実方中将の島見松といふ、実方此松に倚りて島お見給ひしと也、其時明神感応ありて池水お巻上て、松の根までそヽぎしとて、一株の松お浪上松といふ、浮島常は池の岸に引付て渚のやふに見ゆ、其中にて最大なるお奥州島と名付く、其余の島々も皆国々名ありしかど、今はまぎれて何国といふこと、しかとわからず、唯一所池の中へ突出たる岸根お蘆原島といふ、此島ばかり動かず、昔より同じ所にあり、又池の向ふの方の右の方によりて浮みたる色黒き木の株のごときものあり、是お浮木と名付て、天下の吉凶お占ふとぞ、浮たる時は天下太平の象なり、沈みて見えざれば、必変お示すとなり、〈◯下略〉