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東遊雑記

世にしる大沼と雲所へ、此辺よりは僅に六七八里の所といへども、御巡見所にあらざれば行ず、至て残念に思ひしゆへに、案内のものはいふに及ばず、村々の役人町々の年寄抔に近よりて尋聞しに、大沼へ度々参詣せしものヽいふ、山の頂に方五六十間と覚しき沼あり、傍らに大沼権現と称せる社ありて、別当は山伏にて、少しき寺院也、扠沼の中浮島六十六島、大ひなる島方五六尺、小なる島は僅に方一尺計、諸草生じてあり、諸人参詣すれば、山伏出て、何れの島は何の国、彼の島何の国と、大小によりて六十六け国に表し、信心なる人の目には、こと〴〵く島と見へ渡り、不信心の人にはやう〳〵十島か十五島ならでは見へず、願望ある人、志す所の島の動きやうによりて吉凶おしるといふ、此事至て怪敷事に思ひ、信ぜざる事ながらも数度尋見し、何れも違ひなき事に物語せし也、疑ふまじき埒もなき虚説とは思ひながらも、知ある人に会せば、委敷尋とわんと思ひありしに、山形宝幢寺の客僧林山と称せる、文学も有客僧に会せしかば、林山の雲、拙僧は常州水戸辺の産にて、先達て此怪事お承り、当国へ参り、早々大沼へ参詣して、委敷見聞せしに、寛文年中の頃にや、山伏の曲ものありて、いろ〳〵の怪お以て大木のくりぬきお丸くし、夫にいろ〳〵の草木お植て彼沼にうかめ、俗物おあやかせしにより、近郷の愚盲なる人々、大ひに評判して群集おなせしより、他国へ聞へし事にて、和漢三才図会、里人談などに顕わし、世人のしる所となりしなり、古しへよりぞかヽる怪説実にありし事ならば、古き書に記し、風土記などには書落す事にはあらず、やふ〳〵百年以来の事跡にて、其妄説お考へ候へと有しゆへに、色色の疑ひのはれし事なり、