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西遊記

山夕 安永年間、薩摩の桜島、山大に焼て、後山上より大水溢れ出て、田地民家大に損ぜり、所の人これお山夕といふ、抑此桜島といふは、海中にありて、麓のめぐり七里、山の色黒く、一峯に聳て、比叡山二つばかりも重ねたるごとくに高し、ふもとのめぐりに人家田地ありて、富饒の所なり、其峯の焼たりし事は、希代の珍事にてくわしき事は、別巻にしるせり、其焼漸鎮りて、人々も再び活たる心地して悦あへる所に、或日又山の峯震動しておびたヾし、すはや又焼上るかと見る程に、山の峯より雪おとけるがごとき物、真逆様に落来る、何事かといふ程こそあれ、大水山お砕き、石お飛し、樹木お抜てまくり落る、其水先きに当る所は、人家田地の差別なく、唯一刻の間に大海へ突出せり、さばかりの嶮阻なる高山の峯より、海お切り落せるがごとき大水、真さかさまに落来る事なれば其勢ひの急なる事たとへんものなし、人馬ともに逃るいとまもなく、しかと見定めたる者もなしとかや、予も其地に渡りし時、其跡おみたりしに、其水すじは大なる谷となり、其傍の田地の中、或は小だかき岡の上などにも、大さ弐丈三丈、あるひは五丈、六丈にも及べる石ながれ残れり、かヽる大石の事なれば、人力に動かす事もあたはず、田畑などもさまたげられながら、其まヽに捨置り、是お見るにも、まことにかヽる大石の、水の為にながれ下れる事、其時の水勢思ひやられたり、今も桜島の小児のうたふ歌おきけば、島のおたけかどろ〳〵鳴るぞ村丈(むらぢよ)によにげ、山夕が来るとうたへり、其ときのおそろしかりけん事、みるがごとくなり、 すべて高山大やけの後は、多く大水溢れいづる事あるものなり、天明癸卯、信州浅間がたけ大焼の時の洪水も、おびたヾしかりし事、みな人のしるところなり、その委敷事は、又別巻にしるせり、