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東遊記後編

松島 隻二人塩竈の浦より松島の雄島(○○)まで、二里半の所お、賃銭才に四百文にて、小船一艘お買切漕出す、天気殊にのどやかにて、風さへ静なるは、天幸お得たりといふべし、東に向ふて行くに、岸より才に五六丁の所に小き島あり、弁天島(○○○)といふ、夫より十八町にして、かの名たヽる籬が島(○○○)あり、右の方に東宮浜といふ里あり、向ふの沖の切戸の出崎お湯が崎と雲、左の方崎山と雲、皆漁家なり、籬が島より左に折て舟の頭北の方に向ふ、東の方に島々連れり、大なる島近く隔りて、其島の切戸より東海お見る、其大なる島より外にある島々、我舟の通るに従ふて、北よりして南に移る、小き切戸より数々の島々お繰出す事の如きかヽぐるお見る如く、又芝居抔の引道具おみる如し、其島皆甚大ならずして色々の形あり、多くは皆其形お以て島の名とす、地蔵島(○○○)、烏帽子島(○○○○)等、其形猶よく似たり、其外、 筆捨島 沖唐戸島 松の島 水島 両犬島 鍋島 親船島 屋形島 二子島 鐘かけ島 蛇島 鼓島 太鼓島 青海島 夕干島 松が浦島 橋かけ島 旗が島 内裏島 后島 都島 二王島 塩焼島 物言島 主水島 柵島 箕輪島 鎧島 籠島 化粧島 鞍懸島 あぶみ島 貝の島 伊勢島 小町島 毘沙門島 大黒島 夷島 ふくら島 雄島 旭島 翁島 千貫島 経の島 猶此外船頭色々の島おさして教へしかど、書しるすまに船行過て、四方の景色お見洩さじとするに、心のいとまなくして十分の一もしるし得ず、八百八島有りと雲、誠に数百に余れりと思ふ、塩竈の千賀の浦より、松島迄二里半の間、泉水の如く海亦甚深からず、五六尺或は七八尺計に見えて、底甚明なり、かくの如く、島の間皆入海なれば、風ありといへども波立事なしといへり、此島島の松皆赤色にして枝皆下に垂れ、作れる松の如し、故に其景色艶美にして猛からず、扠舟お雄島に付て上り見るに、雄島頗る大なり、此島は見仏禅師の座禅の地なり、其堂宇今に連れり、島の南辺に高さ一丈に余れる碑有り、元の僧寧一山鎌倉建長寺に住持せし時、見仏禅師の為に書する碑にして、字体は草書なり、苔封じて文字見がたき所多し、世の人石摺にして珍重する石碑なり、其外此雄島には芭蕉の朝な夕なの吟おはじめ、俳諧者流の発句の碑、或は騒人の詩碑等甚多し、然れども此佳景に対すべき作は有ぬとも覚へず、扠雄島見めぐりて大なる橋お渡り、他の島にのぼり、又其島より橋にて松島に渡る、今松島と名付る所は陸地にて町家軒お並べたり、多くは皆旅館なり、松島の町耕作の地少ければ、農人にもあらず、又此地は瑞巌寺の下にて殺生禁制の所なれば漁猟の者にもあらず、他の街道にあらざれば商家にもあらず、大かたは隻松島の景色遊覧の人お宿して、渡世とする事なり、