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地震は、古くは、ないと雲ひ、又ないふるとも雲へり、鳴動の義なり、後世の俗、仍ほないと雲ひ、或はなえ、ないゆるなど称する処もあれど、多くは音読せしものヽ如し、 我国古来地震お以て聞ゆれども、其事の史冊に見えたるは、日本書紀允恭天皇五年七月紀お以て始とす、凡そ地震の発するや、微動に止まるあり、一日数回に及ぶあり、数日に渉るあり、年お越ゆるあり、其強大なるものに至りては、家屋お倒し、人畜お損し、地お裂き、山お崩し、川お壅ぎ、海嘯お起す等の事あり、是お以て其難お避けんとするや、或は屋外に出で、或は樹下に坐し、或は竹林に入り、或は舟車に乗る、徳川幕府の時に在りては、特に吏員に其避難の注意お与へたり、而して地震の既に発したる時は、朝廷にては陰陽道に命じて卜占せしめ、或は地震の神お祭り、或は之お山陵に告げ、或は臨時に大祓お行ひ、或は祈禱お修せしむ、而して地震に由て朝儀お停め、年号お改め、救恤お施し、恩赦徳政お行ふ等の事も、亦古くより之れ有りき、