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本朝地震記
夫地といふ文字、往昔は地に作る、これ会意なり、史記漢書に墜に作る、震は動なり亦怒なりともいへり、〈◯中略〉但し地の体は北お陽とし南お陰とす、山岳多くは北にあり、天の体は南お陽とし北お陰とす、故に日輪は南に行る、是天地円混相聯りし象なり、〈◯中略〉されば地震するものは、陽気陰の下に伏して陰気に迫り昇る事あたはず、於是地裂動き震するにいたる、これ陽気其所お失ふて、陰気塡るヽが故なり、また地中に蜂の巣のごとき竅あり、しかして後水潜り陽気常に出入す、陰陽これにて相和し、其宜お得るお常とす、もし陽気澀滞して出ることあたはず、歳月お積重るに随ひ、地脹れ水縮るゆえに、井戸涸れ、時候ことの外熱気なり、これお譬はヾ、餅お炙るに火のために脹れ起るが如し、将に地震ふときは、蒼天も卑くなり、衆星も大さ常に倍するといへり、これ地昇り天降るにあらず、既に雨ふらんとするときは、山お見るに甚だ近く見るが如し、陽気陰お伏し地お裂きて天に発出するが故に地中震動す、これ則ち地震なり、そのはじめ震ふもの甚だ猛烈なり、これ地中陽気一塊に発するの証なり、また次に震ふものは緩なり、これ郷の陽気地中に残れるが少しづヽ発出の所以なり、されば一天中の世界なれども、中華にふるひて本朝に動かず、日本震ひて唐土また動かず、一国中にかぎり他国に出でず、或は江戸静にして浪花に震ひ、大坂豊にして京都うごく、是地中の陽にて地脹るヽと脹ざるとの故なり、地中に凝し陽気、其所より発せんとする故に、甚だしきものは地裂山崩ること往々これあり、一村にありても、そのあたりの多少あるは、是また地の堅きと堅からざるとの故なり、凡初めて大に地震するときは、海汀に泥涌上り津浪山のごとく遡る、奥州の洪水、遠州今切など是なり、又大地震の後、月おかさねて震ひやまざるは、いまだ陽気の出尽さヾる故なり、其甚きものは山焼出るといへり、