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事語継志録

毎朝信綱公〈◯松平〉の宅へ見舞の衆多き折節の事なるに、地震よほどゆりけり、此地震にては、定めて早々御登城あるべきやと申さるヽ人ありし、其時小性お呼せ玉ひ、御居間の水桶の水こぼれたるや、見て参るべしと仰せらる、其人則見て参り、水はこぼれ申さヾるよしお申す、然らば地震に付ての御登城なされまじきなりと宣ふ、其時或人申さるヽは、たヾ今仰付らるる御居間の水こぼれたるやと御尋の儀は、いかヾ仕りたる事にやと申されければ、そこにて答へ仰られしは、総じて地震ゆりたる時、いかほどの地震には登城然るべしとの義、計ひ難に付て、其為に常に居間の前に水桶お置て、御城にて地震ゆる時宅へ帰り、今日の地震いかほどにやとある義お相尋ぬれば、水の動きやう、是ほどの位と申す、夫にて御城にての地震お考へ、是ほどにては登城然べきとの義お試置なり、これに依て隻今水お見せに遣すなりと仰らる、実には地震のほどらい知がたきものなるに、働せらるヽ智慧なりと、其人ごとに感ぜられけるとなり、