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大阪地震記
嘉永七甲寅年〈◯安政元年〉六月十三日、午之時と未の時に、地震二度強けれども、二ゆりにて鎮りたり、〈◯中略〉十三四〈六月〉の両日は、此程に替りて暑さもまさりぬるは、けふより六月なればなどいひあへりしに、其夜子之刻過る頃、戌亥の方よりとも、辰巳よりとも、さだかならねど、どおうどおうと響き渡りて、大なるない震ひ出たり、されば家の大小おいはず、ゆりうごく事、風荒き日、船にて海おわたるがごとく、畳の上さへ歩みかねたり、とみにもふるひやまずして、家のなる音、いはん方なく恐しければ、皆一まどいにまどいし、或は打臥などしてあるに、灯火おさへゆり消し、又は倒などしければ、女童は泣まどひ、たヾ神仏の御名お唱ふるより外なし、漸く明がた近くなりて、少し穏しく成ぬるにぞ、人々生出たる心地せしに、又強く震ひなどして、朝の五つ時迄に、およそ三十五六度に及べり、あくる十五日もきのふに替らず空晴たりしかど、猶ふるひやまずして、暮るヽまで長短強弱はあれど、十五六度に及びぬ、〈◯下略〉