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宇野主水記
一十一日〈◯天正十三年十一月〉夜九つ半時、地震、 一十一月廿九日夜四半時大地震、夫より十余日不止、折々地震、此比内侍所鳴動之由申来、禁中御祈禱種々有之、卅三間堂の仏六百体計倒給と雲々、飛州の帰雲とも在所は内島と雲奉行衆ある所也、地震にて山崩山河多せかれて内島の在所へ大洪水はせ入て、内島一類地下の人々にいたるまで不残死たるなり、他国へ行たる者、四人のこりて泣々在所へ帰りたる由申訖、彼在所は悉淵になりたるなり、近江、越前、加賀は、別て大地震、和泉、河内、摂津同前、六十余州大地震なり、されども別て破例たる国と、さほどになきと差別有之雲々、八十余歳の人も此事見聞たる事無しと雲々、