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窻の須佐美

元禄十六年癸未十一月十八日、四つ谷塩町より焼出て、芝海端まで焼しかば、人々騒しに、廿二日丑刻、大地震、御堀石壁の石一同に抜出て、歯ぐきのごとくになりぬ、御城詰の面々、御門番人之外、江戸中貴賤殃死、怪我人かぞへ尽すべからず、この時房州総州の津浪火敷して、死するもの二万一千人なりとぞ、戸塚鎌倉の辺、小田原死人限りなし、翌日より日中五十度三十度十日余りほどゆり、春に至て五三日一度、又は三四度づヽ大ゆりに動き、少づヽは繁々にありて、半年余りにして止ぬ、