[p.1394]
源平盛衰記
四十五
内大臣京上被斬附重衡向南都被切并大地震事 同〈◯文治元年〉七月九日午刻大地震なり、良久振て忯(おびたヾ)しなど雲も愚也、同十二日に又地震あり、九日にはなお超過せり、赤県中、白川の側、六勝寺九重塔より始て破傾き到崩、大内中堂廻廊、園城寺廻廊、法勝寺阿弥陀堂も顚倒しけり、神社仏閣も如此なりければ、増て人屋の全きは一宇もなし、根本中堂の常灯も、三灯は消にけり、大師手自石火お敲出して炬し給へる一灯は不消けり、法滅の期には非ぬぞ、臨時の災と覚えたり、同き十四日に、弥益震けり、堂舎の崩るヽ音雷の鳴が如し、塵灰の揚る事は煙お立たるに似たり、