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武江年表

嘉永六年二月二日巳下刻、地震三度、民溜桶の水溢る、〈此日同刻相州小田原の城下町町おはじめ、神戸、大磯宿、大山辺、箱根、伊豆の熱海、三島、沼津の辺に至るまで、地震数度に及び、同夜子刻至りて、人家お覆し火災起り、死亡の輩あまたありしとぞ、〉安政二年十月二日、亥の二点、大地俄に震ふ事甚く、〈◯中略〉品川沖御台場の内建物潰れ、土中に入り、剰火お発したり、此夜潰家より火起り、焼亡及し場所間数左の如し、 大手御門前、西丸下、八代洲河岸、日比谷幸橋御門内迄、長十三町余、巾平均三町程、 南大工町より燃立、京橋の辺一円焼失す、長五町余、巾平均二町程、 築地松平淡路守殿より火起り、十軒町焼失、長一町半余、巾平均四十間、 柴井町木戸際より起り、同町のみ焼る、長一町四十間余、巾卅八間程、 霊巌島塩町より起り、浜町四日市、北新堀、大川端迄、長一町余、巾五十間程、 浅草駒形町より起り、諏訪町外五け町類焼、長四町余、巾三十間程、 同行安寺門前より起り、竜光寺門前玉窓寺より起る、長卅六間余、巾卅間程、 浅草寺地中より起り、田町、花川戸町、猿若町焼失、長八町余、巾平均二町半程、 吉原町残らず、非人頭がまへ内焼失、長三町余、巾平均二町廿間程、 上野町一丁目武家境より起り、下谷広小路東の方一円焼失、長六町半余、巾平均壱丁十間程 下谷茅町二丁目より起り、武家方焼、池の端七軒町より起、長二町半余、平均四十五間程、 下谷坂本町三丁目より起り、同一丁目二丁目焼失、長二町廿間、巾平均四十五間程、 千住小塚原町より起り、下谷みのわ町へ飛火、焼失長一町半余、巾平均五十間程、 橋場金座下吹所より起り、又今戸町より起り、最寄焼失、長一町廿間余、巾平均廿間ほど、小川町辺燃立ち、家不知、一円水道橋内まで焼失、長六町半余、巾平均四町程、 浜町水野侯、中やしき長屋内焼失、長五十二間余、巾四間程、 小石川りうけいばし辺武家やしき焼失、長四十二間余、巾十間程、永代橋向南の方、深川永代寺門前仲町辺一円焼失、長十町、巾平均三町程、 深川いせざき町、亀久町の辺焼失、長三町余、巾平均三十間程、新大橋向、御船蔵前町、六間ぼり、森下町辺焼失、長七町余、巾平均二町半程、 本所緑町より、竪川通、中の郷、五の橋町辺焼失、長六町余、巾平均三十間程、 南本所石原町法恩寺橋まで亀戸町焼失、長一町廿間余、巾平均十二間程、 南本所荒井町、北本所番場町の辺焼失、長三町余、巾平均廿五間程、 中の郷成就寺向、小梅町元瓦町の辺焼失、長五十間程、巾平均八間程、 以上江戸焼亡場所、合凡長二里十九町余、幅平均して二町程と聞り、 三日朝五時過にいたり、諸方の火やうやく鎮れり、