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難波江

獣肉お喰ふ事〈えとり 穢多〉
友人山田昌栄の説に、近日人多く獣肉お喰ふ、よからぬことなり、摂生にわうし、いかで禁断の御令もがなといひて、道三翁養生物語と、太田氏の梧窻漫筆後篇とお証とす、
道三翁養生物語にいはく、天照太神の御慈悲と、大己貴尊の知恵にて、肉食はけがれにたてヽ 戒めてくはせ玉はず、
太田氏梧意漫筆後篇上にいはく、我邦は四面大海故、魚類極て多し、故に人獣肉お食ふことお不好、四足お食へば穢れ也とて、国家の令甲にもあり、世人も斯く覚えて忌み嫌ひつ、是も仏法仁柔の余功なるべし、然るお香川修徳といへるもの、邦人は獣肉お食はざる故に虚弱なりなどヽ雲ひおどせし故、近年は山国の人のみならず、海辺の魚肉多き処まで、皆々好て食ふことにはなりたり、
孝〈○岡本保孝〉雲、香川修徳太沖父と雲もの、一本堂薬選三巻おかきて、其下編鹿の条に、本邦にて は獣肉お忌避くと雲はあやまりにて、古人禁忌したることはきかずといひ、其証に仁徳紀 〈三十八年〉天武紀〈四年〉持統紀〈五年〉延喜式などお引用したり、〈延喜式は下文附錄に詳に出す〉
されど猶、古昔のすがたお孝に詳に聞まほしといふ、孝つら〳〵考ふるに、本邦の昔、獣肉お食ひたることは、猪甘首と雲姓あるにてもしられたり、〈姓氏錄にあり〉古事記〈下巻安康〉に、我者山代之猪甘也とあり、〈甘は養なり、例あり、古事記伝四十〉〈四十七葉左〉〈に詳なり、〉又古事記〈中巻崇神〉に、弓端之調と雲ことあり、本居氏雲、上代には獣肉(しし)お食(め)し、又其皮お衣褥などにせしことも多かりし故に雲々、〈伝二十三〉〈九十う〉といへり、さて又これお食はざるやうになれるは、必仏氏にまよへるよりのことなり、続日本紀〈巻十一〉天平四年七月丁未、詔和買畿内百姓畜猪四十頭、放於山野令遂性命、とあるや始めならむ、さて又獣肉お食へば穢ると雲ふは、後世のあやまりなり、