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栄花物語
二十五/峯の月
この比〈○万寿二年五月〉きけばあふさかのあなたに、せきでらといふ所に、うし仏(○○○)あらはれ給て、よろづの人まいりみたてまつる、年比この寺におほきなる御だうたてゝ、弥勒おつくりすえたてまつりける、くれえもいはぬ大木どもお、たゞ此うし一してはこびあぐることおしけり、あはれなるうしとのみ、御寺のひじりおもひいたりける程に、てらのあたりにすむ人かりて、あすつかはんとておきたりける夜の夢に、我はかせう仏なり、此寺の仏おつくり堂おたてさせんとて、年ごろするにこそあれ、たゞ人はいかでかつかふべきと見たりければ、おきてかうかう夢おみつるといひて、おがみさはぐ也けり、牛もさやにて黒くて、さゝやかにおかしげにぞありける、つながねどゆきさる事もなく、例の牛の心ざまにもにざりけり、入道どの〈○藤原道長〉おはじめたてまつりて、世中におはしける人まいらぬなく参りこみ、ようづの物おぞたてまつりける、たゞみかど、春宮、宮々ぞみおはしまさゞりける、この牛ぼとけなにとなく心ちなやましげにおはしければ、とくうせ給べきとて、かく人まいりこみて、このひじりはえいざうおかゝむとていそぎけり、かゝる程に、にしの京に、いとたうとくおこなふひじりのゆめにみえたるかせう仏だうにねはんのだんなり、ちさたうとくけちえんせよとぞみえたりければ、いとゞ人々まいりこむ人もあり、いづみ、
きゝしよりうしにこゝろおかけながらまたこそこえねあふさかのせき、人々あまたきこゆれど、おなじ事なればかゝず、日ごろこの御かたかゝせて、六月〈○万寿二年〉二日ぞ御まなこいれんとしける程に、その日になりて、この御堂お此牛みめぐりありきて、もとの所にかへりきて、やがてしにけり、これあはれにめでたきことなりかし、御かたに眼いれけるおりぞはて給にける、ひじりいみじくなきて、やがてそこにうづみて念仏して、七日々々に経仏供養しけり、後にこのかきし御かたお、内〈○後一条〉にも宮〈○上東門院〉にもおがませ給ける、かゝることこそありけれ、まことのかせう仏、このおなじ日ぞかくれ給ける、いまは此寺の弥勒供養せられ給、この聖もいそぎけり、草おたれもたれもとりてまいりける中に、まいらぬ人などありければ、それは罪ふかきにやなどぞさだめける、