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南総里見八犬伝
七集七
第七十三回〈仇お謬て奈四郎頭顱お喪ふ客お留て次団太闘牛に誇る〉
次団太歓びて、扇お笏に物々しく、うち呟きつゝ講ずらく、抑越後州古志郡なる二十村は、東山辺の総名にて実は二十六村あり、そが属村お相加えて、細かにこれお数れば、五十個村にも及ぶとなん、然れば這二十村なる、荒屋、逃入、虚木の三個村、合保の鎮守の神お、十二大権現と斎称へて、各各その村落に神社あり、この神の祭祀と唱へて、年の三月四月の間、宿雪の消果る遅速によりて、定日なく、又定りたる地所もあらねど、大約寅か申の日に当る吉日お卜定めて、里人闘牛お興行す、これお地方の俚語に牛の角突(○○○○)と呼作したり、この事いづれのおん時より、当郡にのみあることやらん、昔より今に至て、こゝに断絶あらずといへども、よくその始おいふものなし、〈○中略〉然程に闘牛の時刻にもなりければ、村人各々彼此に、繫置たる牛共お、漸々に牽もて出して、迭に勝負お決せしむ、その事の為体、今の相撲の土苞入、攬組といふものに異ならず、且その牛と牛とお闘するとき、東は某村の肱右衛門、西は甲村の乙兵衛と呼はり名告て、看官にこれお知しむ、初は形体巨大からず、膂力飽まで猛からざる牛おもてこれお闘し、中は大ならず、又小ならず、強からず、弱からぬ、前頭たる牛お闘し、後は大関小結と唱らるゝ大牛の、強勢なるお闘すること、亦是今の相撲の如し、既にして一番二番と、勝負お争ふものお観るに、且東西より牛主、各一頭お牽もて出して、牛と牛と相距しむること、その間若干丈、力士等牛縻お解放てば、双方斉一奔蒐りて角お突合するもあり、或は迭に疾視て、左右なくは蒐らず、相摎ること数回にして、やうやく相近づくとき、突然として額お合し、角お縢て推すもあり、亦牛縻お解くとそが儘、一隻の角おもて、田お鋤き甫お打ごとく、大地お数間鑿り進みて、角お闘する牛もあり、又敵お見て進み得ず、俄然として逃るもあれど、大かたは牛縻お解くと、そが儘相進みて角お闘する牛多かり、迭に膂力の捷れし牛は推戻し衝返され、漸に眼中含血(ちはしり)て、朱お注ぎたるものゝ如く、全体より汗お流して、四箇の角お闘する音、戛々として遠く聞えたり、掎角の勢ひ怕るべし、又手段ある強牛どちは、組では離れ、はなれては突く、その勢ひ迅速にて、もし舛て突外さば、忽地眉間お劈かれんと、見る目危く思ふものから、よく煆煉して愆つことなし、就中大牛の膂力大象に敵するものは、角お以て投僕し、更に又角おもて突殺すべく見えたるとき、力士等群蒐推隔て、捷誇りたる牛お駐む、事及ずして拄ざれば、負牛は〓お突れて、矢庭に弊れざることなし、〈○中略〉実に是北国中の無比名物、宇内の一大奇観也、〈この牛の角突の事は、次団太が物がたりの段よりこゝに至りて皆真説也、○下略〉