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源平盛衰記
二十九
礪並山合戦事
木曾は礪並山黒坂の北の麓、垣生社八幡林より松永柳原お後にして、黒坂口に南に向て陣お取、平家は倶梨伽羅が峠、猿の馬場塔の橋より始て、是も黒坂口に進み下て北に向て陣お取、〈○中略〉木曾は追手に寄せけるが、牛四五百匹取集て、角に続松結付て夜の深るおぞ相待ける、去程に樋口次郎林富樫お打具して、中山お打上、葎原へ押寄せたり、根井小弥太二千余騎、今井四郎二千余騎、小室太郎三千余騎、巴女一千余騎、五手が一手に寄合せ、一万余騎、北黒坂南黒坂引廻し、時お作、太鼓お打、法螺お吹、木本萱本お打はためき、蟇目鏑お射上てとヾめき懸たれば、山彦答て幾千万の勢共覚えざりけるに、木曾すはや搦手は廻しける時お合せよとて、四五百頭の牛の角に松明お燃して平家の陣へ追入、胡頽子木(ぐみのき)原、柳原、上野辺に扣へたる軍兵三万余騎、鬨お合、喚叫黒坂表へ押寄る、前後四万余騎が鬨、山も崩、岩も摧らんと忯し、道は狭し山は高し、我先我先と進む兵は多し、馬人共に圧に押れて矢おはげ弓お引に及ばず、打物は鞘はづし兼たり、追手は搦手に押合せんと責上、搦手は追手と一にならんと喚叫ぶ、