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傍廂
後篇
以牛祭神
神祇正道に於ては、牛馬犬猿雞は人に畜はれ、人の用おなす故に、継ぎて産死の穢あり、食料は甚しき穢惡なり、後漢書に以牛祭神とあり、広州記に、殺牛取血、和泥塗石牛背祀とあり、これら神も真の神にあらず、牛馬も穢とせざるなり、天竺にては雨お祈るに、以牛糞塗場地、以牛乳酪食法師といへり、皇朝にては、甚しき穢として、いみさくる故に、牛肉お田人に食しめたる時に、御歳神いかり給ひて、災ありし事、古語拾遺にあり、さるおいつの程にか、異国の風義うつりつらん、皇極天皇紀に、随村々祝部所教、或殺牛馬、祭諸神社雲々、桓武天皇紀に、断百姓殺牛用祭漢神雲々、自然と悪風義うつりたるなり、