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沙石集

愚痴僧成牛事
三河国の或山寺に、修学のに事闕たる若き僧有けり、縁に付て近江国に住けるが、年月経て三河の師の許へ行て、坊へ入らんとするお、小法師棹お以て打んとす、こは何事ぞと雲んとすれども、物もいはれずにげ去ぬ、又行ば先のごとし、遥々と思ひ立て来り、空く帰るに及ばずと思て、又行時此小法師、此牛は思ふ事のあるやらむ、度々来ると雲て、馬屋に引入れてつなぎつ、其時我身お見れば牛なり、心うき事限なし、是は曰来の信施の罪深き故にこそと思て、尊勝陀羅尼こそ信施の罪お消滅する功能あれと、さすが聞置て誦せむと思へども、習もせねば協はず、せめては名字おも唱へむと思へども、舌こはくしてたヾしくは雲はれず、隻そヽとぞ雲はれける、此牛は病のあるにや、草もくはず、水ものまず、そヽめくと人雲けれども、心うさに食物の事も忘れて、三日三夜そヽめきて、志の積りにや尊勝陀羅尼と雲はれたりける時、本の法師に成ぬ、さて縄解きて師の前へ行ぬ、いつ御房来ると雲へば、三日に成候と雲ふ、何くに有つるぞと問へば、馬屋に候つるとて、事の子細有の儘に語けり、