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御法宝鑑

五性十毛之事
五性は木火土金水、十毛は駽驄驊騮騜驃騢駱驪〓也、其毛色に因て五行に配す、偶に従ふ、詳に左に記す、
駽音は涓、馬の浅驪の色、則今雲青毛是也、

音は聡、馬の青白雑毛、則今雲葦毛是也、
木は東方に位す、其色青し、故に右二毛五行に於て木に配す、
或問、聡お葦毛と呼者は、則葦の色に因者乎、曰、驄は元義お葱に取る、定幸が驪黄物色の図説に 曰、驄今按るに、阿志計、爾雅翼お引て曰、葱は本白して末青色最美なり、馬の青驪お驄と称るも 亦義お葱に取る、

音は華、馬の赤色、則今雲栗毛是也、
或問、今世皆赤毛の馬お栗毛と雲、蓋栗実の色に因者乎、曰、其来こと故(ふるし)と雖、元是本朝の俗語、未 何の故と雲ことお知ず、栗実の色彼馬の色と大抵相類す、恐は吾子が言の如けん、義に於て害 なし、官厩に於ても赤毛の馬お斥て、皆之お栗毛と雲、〈○中略〉

音は劉、赤身黒鬣尾の馬、則今雲鹿毛是也、
火は南方に位す、其色赤し、故に右二毛五行に於て火に配す、
或問、鹿毛とは鹿の毛色に因て名づくる者乎、曰、吾子が言の如けん、先師の説又此の如し、直蕃 按るに、古来往々誤て騮お以て土に配す、旧本又然り、蓋考るに、騮に未土色あるの説お見ず、先 賢黒沢定幸が驪黄物色の図説、及相驥鑑の補註お閲に、皆騮お以て火に配す、故に今之お改む、

音は黄、黄にして、微き白色雑るお騜と雲、則今雲雲雀毛是也、蓋今世、黄にして諸色お雑る者お斥て、通じて雲雀毛とす、其称可也、
或問、雲雀毛とは、本鶬鶊の色に因者乎、曰、恐くは吾子が言の如けん、余未詳ならず、曰、今世黄に して諸色お雑る者お斥て、通じて雲雀毛とす、其称可也とは何ぞや、曰、先賢定幸が曰、按るに、雲 雀毛は、万葉倭名の集に於て未之お視ず、今の雲雀毛と雲者は、黄にして諸色お交ゆ、故に先人 之お土に配す、土色黄にして気お五行に賦するが故也、雲雀は鶬鶊也、彼馬の色と親く相似ず、 何の故にか之お雲雀毛と謂や、我未詳ならず、蓋経典諸書多く騜の字あり、騜馬お以雲雀毛と 名づくるも、強て義に害なからん乎、猶建久中より此名あり、故に今衆に従ふ、

音は票、黄馬白色お帯る者お驃と雲、則今雲白鹿毛是也、
土は中央にして其色黄也、故に右二毛五行に於て土に配す、
直蕃按るに、古来往々騜お以て火に配し、驃お除き油馬お以て土に配す、旧本又然り、蓋考るに、 未韻書に其拠お見ず、先賢黒沢定幸が驪黄物色の図説に於ても、騜と驃とお以て土に配す、其 最然り、故に今之お改む、且夫油馬は、今世に雲糟毛也、定幸以て水に配す、其図お見に、五色皆糟 毛ありて、或は驊油馬と称し、或は駽油馬と称して、其色に因て五行に配す、其彩色各今世称す る所の糟毛と同じ、巻中惟り驪馬の糟毛のみお以て、唯油馬と記て驪油馬とせず、図説に於て も五色皆油馬の名ありて、何の故に之お油馬と称するの説なし、今世又黒色の油馬お斥て黒 糟毛と呼て、唯之お糟毛と呼ず、官厩に於ても又然り、然ば則惟り驪馬の糟毛のみお以て、唯油 馬と称するも敢て是となし難し、又且先師言ることあり、馬の毛色頒白相雑る者お糟毛とす、 青色にして半白雑毛なるお青毛糟毛と称し、白黄色にして赤毛相雑るお月毛糟毛と称し、赤 毛にして半白相雑るお赤毛糟毛と称し、又是お栗毛糟毛と称す、糟は滓也、蓋其色純ならざる の義に因乎、未黒色の油馬お以て唯之お糟毛と称せずと、然ば則唯油馬と称して、五行に於て 一色に定がたし、故に之お除く、

音は遐、彤白雑毛の馬、彤は赤也、白馬にして微く赤色お帯るの称、則今雲月毛是也、蓋今世純白色の馬お斥て、通じて月毛と呼、其称可也、

音は洛、白馬にして鬣尾黒く、脊に一道の黒色お通る者お駱と雲、則今雲川原毛是也、金は西方に位す、其色白し、故に右二毛五行に於て金に配す、 或問、純白色の馬お斥て、通じて月毛と呼、其称可也とは何ぞや、曰、先師曰、月毛は元其色白にし て、月光の如に因お名づくる者也、純白色の馬其最明白也、故に通て月毛と呼者也、曰、駱お川原 毛とす、名づくる所故ありや、曰、余未詳ならず、然れども倭名抄に於ても、已に川原毛の文字あ り、定幸も又之お引用す、今之に従ふ、

音は離、純黒の馬、則今雲黒毛是也、

音は魚、馬の目中白色お帯て魚目に似たるの称、則今雲鮫馬是也、
水は北方に位す、其色黒くして且陰也、故に右両馬五行に於て水に配す、是則五色お以て五行に賦する所以ん也、蓋斑駁雑毛の馬は、其本色に因て性お分つ、本色とは、喩ば黒白雑れる者、其黒色勝れるときは、則之お本色として水に配し、其白色勝れるときは、則之お本色とした金に配す、五色皆然り、 或問、今世鮫馬と称する者皆白毛也、今唯目中白色お帯て魚目に似たるお鮫馬と雲て、其毛色 お雲ざる者は何ぞや、曰、鮫馬旧毛色お雲ず、唯目中の色お以て之お称す、本朝往々、惟り白毛に して目中色異なる者のみお斥て鮫馬とす、蓋之お誣べからず、其来ること故し、然れども其実 は白毛一色のみにはあらず、或は青毛、或は赤毛、大抵色不同にして唯目お以て名とす、然るに 今世白毛にして目中色異なる者お視て、多く之お鮫馬と称し、其余目中色異なる者お視て、多 く之お鮫馬と称せず、或は之お毛目と呼、或は之お目変と呼、毛目とは則其毛色照て目中に在 の称、目変とは則目色常馬と異るの称也と、俚俗の謬誤最是笑べし、世人秘伝と称する者多く 此類也、寧目変り毛目等と呼んよりは、其目色お捨て唯毛色お以て称せんにはしかじ、元来五 色皆鮫馬ありて、或は驄〓と呼、或は駱〓と呼、或は騢〓と呼、惟り白毛のみにはあらず、曰、然ば 則五行に於て惟り水のみに配すべからず、然るお水色に賦する者は何ぞや、曰、鮫馬性に陰気 あり、又且黒白変化の理あり、故に水に配す、曰、敢て問、請詳に之お告よ、曰、善哉吾子が問ことの 切なる、余が見る所の先賢の遺論あり、其説最高し、今為に之お告ん、子慎て蔵よ、黒沢定幸が曰、 按ずるに、鮫馬多白毛也、然に今水に配す、之お如何ん、則本朝の先輩皆以水に配す、載て往牒に あり、愚敢て妄意お以て之お言には非ず、古老伝て雲、水色旧黒、然と雖も白雪也、白霜也、白露也、 白浪也、其変皆白、一隅の見お以て事物変化の理凱窮べけそや、凡鮫馬惟り白毛一色のみには あらず、浅黒あり、浅赤あり、一目の鮫馬あり、二目の鮫馬あり、大抵色不純にして、而て目お以て 名とす、故に本朝の人彼馬の眼、鮫魚の目に似たるお以の故に、名て鮫馬と雲、異邦の俗之お環 眼馬と雲、爾雅に焉お道り、