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蝦夷国風俗記

牛馬之事
松前所在島一国は、牛馬お飼て野放しにかひ置なり、夏より秋は青草枯草も有て食用に飢せず、仍而壙野壙陸に遊ぶ、冬に至りて雪ふりつもれば、雪中より秀る薄の〓などお喰居るといへども、極寒の頃になれば、雪も大につもりて、薄の〓も積る雪に埋りて、食物も絶ければ、浜辺に出て遠冲より波浪に打よせられたる海藻お拾ひ食ふ、土人其時お待て馬お取集て、雪のうへにやらひお結ひ、其内に飼置干草とて、毎秋刈干て貯へ置たる蓬交りの芽お与へるなり、如斯の存在の手当なれども、馬の剛強なる事、日本の馬に比類なし、轡ももちひず、沓おかけず、山坂の岩石、磯辺河原等おいとわずつかへども、少もひるむ事なく、予天明丙午の七月下旬、喜古内といふ村に一宿せし時、宵より明日の乗馬お頼置けるに、翌朝になりて馬お牽来らず、よつて其ゆへお尋るに、野にはなれゆきたりといへり、趣意おきくに、野放に飼置たる馬昨日捕へ置しに、彼馬手綱お切て山へにげ帰りたりといへり、夜中にげたればゆきがたしれがたきといふ、時に杣人来りて雲、其馬二里程山奥の沢辺に居たると知らせたるによつて、いそぎまた捕へに遣したるよしいひける、暫過て彼馬お牽来りたり、予取あへず打乗て行先急ぎけり、道すがら土人の風儀お見るに、太古の風はかくもあるべきかとおもわるゝ也馬子壱人にて馬五匹繫ぎ連て牽、往来するお見るに、屈曲の山路にて人足も安からざる険阻の山坂お住来するに難しとも見へず、また夫よりはるかに過て、浜辺に出て通りけるに、渚に飼馬と見へて、六七匹遊び見へたり、馬子予にいひけるは、暫く馬お駐て待居給はれと雲て渚端に行く、予手綱お取て馬おとゞめて待居しに、彼馬子渚端の馬お撫廻し、よく見て戻る、予不審におもひ、其故おとふ、ときに馬子雲、某の馬二十日計以前に、野放しに仕置たるが未見へず、よつて渚端の馬某が馬に能似たるゆへ篤と捕へ見れば、某が馬にあらずといふ、予失ひたるかと問へば、馬子雲、もし熊にとられたるか、生てだに居ば終にはいつか尋ねあたる也といへり、