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源平盛衰記
十四
木下馬事
抑三位入道頼政の係る悪事お宮〈○高倉宮以仁王〉に申勧め奉る事は、馬故なり、嫡子伊豆守仲綱が家人、東国に有けるが、八箇国第一の馬とて、伊豆守に進らせたり、鹿毛なる馬の太逞が、曲進退にして逸物也、所々に星有ければ、星鹿毛と雲けり、仲綱是お秘蔵して、立飼けり、実に難有馬なりければ、武士の宝には能馬に過たる物なにかは有べきとて、あだにも引出す事なければ、木下(○○)と雲名お付て、自愛して飼ける程に、或人、右大将〈○平盛宗〉に申けるは、伊豆守の許にこそ、東国より究竟の逸物の馬出来て侍なれ、召れて御覧候へかしと申、大将軈て人お遣して、誠や面白き馬の出来て侍るなる、少し見度候と雲れたり、仲綱これお聞て、暫は物もいはず、良久有て、御目に懸るべき馬には侍ざりしかども、けしかる馬の遠国よつ上て、爪おかきて見苦しげに候し間、相労はらんとて、田舎へ下して候と返事しけり、人申けるは、一昨日は湯洗、昨日は庭乗、今朝も坪の内に引出て有つるなりと申、右大将さては惜むにこそとて、重て使お遣す、彼馬は、一定是に侍る由承る、さる名馬にて侍るなれば、一見の志計也と謂れけり、伊豆守は、我だにも猶見飽ず、不得心なりと思て、猶もなしと答ければ、大将は負じと、一日に二度三度使お遣し、六七度遣日も有けれ共、惡〈く〉惜て終にやらず、一首かくこそ読たりけれ、
恋敷ばきてもみよかし身に副るかげおばいかヾ放遣べき、木下は鹿毛の馬也、我身の影に添けるにや、最やさしく聞えけれ共、一門亡て後にこそ放つまじき影お放て角亡にけり、歌に読負たりとぞ申ける、三位入道、仲綱お呼て、いかに其馬おば遣さぬぞ、あの人の乞かけたらんには、金銀の馬なりとても進らすべし、縦乞給はずとても、世に随ふ習なれば、追従にも進らすべきにこつ、増て左程に乞給はんおば、惜むべきに非ず、況馬と雲は乗ん為也、家内に隠し置ては何の詮か有べき、疾々其馬進らすべしと宣ひければ、仲綱力及ばず、父の命に随て、木下お右大将の許へ遣しけり、聞に合て実に能馬也ければ、舎人余多附て、内厩に秘蔵して立飼けり、日数経て後、伊豆守以使者召置れ候し木下丸返給べき由申たり、右大将、此馬おば惜て其代りと覚しくて、南鐐(○○)と雲馬お賜たりけり、極て白馬也ければ、南鐐とは呼けり、是も誠に太逞くして好馬なりけれども、木下には及付べき馬に非ず、係りし程に、当家他家の公卿殿上人、右大将の亭に会合の事あり、或人実や仲綱が秘蔵の木下と申馬の此御所に参て侍けるは、逸物と聞えけり、見侍ばやと申たり、大将さる馬侍りとて、伊豆守がさしも惜つる心お悪て、木下と雲名おば呼ばずして、馬主の実名お呼で、其伊豆に轡はげて引出し、庭乗して見参に入よと宣ふ、仰に依て引出し、庭乗様々しけり、〈○下略〉