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源平盛衰記
三十六
熊谷向大手事
熊谷は〈○中略〉紅の母衣懸て権太栗毛(○○○○)に乗たりけり、此馬は熊谷が中に権太と雲舎人あり、李緒が流おも不習、伯楽が伝おも不聞けれ共、能馬に心得たる者成ければ、召向て当時に源平の合戦あるべし、折節然べき馬なし、海おも渡し山おも越べき馬、尋得させよと雲て、上品の絹二百匹持せて奥へ下す、権太陸奥国一戸に下て、牧の内走廻て、撰勝つて四歳の小馬お買たりけり、長こそちと卑(ひき)かりけれ共、太逞こたへ馬の、はたはりたる逸物也、さてこそ此馬おば権太栗毛とは呼けれ、〈○中略〉子息小次郎は、〈○中略〉是も紅の母衣懸て、白浪(○○)と雲馬に乗たりけり、此馬は奥州姉葉と雲所に、白波と雲牧より出来たる上に、尾髪飽まで白ければ、白浪と名り、権太栗毛に上下論じたる逸物也、又西楼(○○)と雲秘蔵の馬あり、後戸風(ここふう)と雲舎人男に引せたり、権太栗毛いかなる事もあらん時はとて、乗替の料に引せたり、白き馬の太逞が、尾髪飽まで足れり、三戸立の馬也、余に秘蔵して仮居の西に厩お立て、昼は人目お憚て、夜は引出し愛しければ、馬の白きお月に喩、西の厩お楼に喩て、西楼とぞ号けたる、