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源平盛衰記
三十七
一谷落城並重衡卿虜事
重衡卿今は協はじとて、浜路に懸り、渚に打副て、西お差て落給ふ、其日の装束は、褐衣に、白糸お以て群千鳥お縫たる直垂に、紫すそごの鎧おぞ著給へる、馬は童子鹿毛(○○○○)とて究竟の逸物、早走なり、大臣殿の御馬お預り給てぞ乗り給へる、庄三郎家長がよき大将軍と見て、父子乗替の童三騎にて追て懸る、三位中将は、蓮の池おも打過ぎ、小馬林お南に見なし、板宿須磨にぞ懸り給ふ、庄三郎目に懸て、鞭に鐙お合せて追ひけれ共、逸物には乗給へり、隻延にのび給ひける間、今は協はじと思ひ、十四束取て番ひて追様に馬お志て遠矢に射、其矢馬の草頭に射籠めたり、其後は障泥れども打て共、疵お痛みて働かず、三位中将の侍に、後藤兵衛尉守長とて、少くより召仕ひ給て、如何なる事有りとも、一所にて死なんと深く契給て被召具たり、三位中将の秘蔵せられたりける夜目なし鴾毛(○○○○○○)と雲ふ馬にぞのせられたる、是は童子鹿毛(○○○○)、若の事あらば、乗かへんとの約束なり、馬も秘蔵の馬なり、主は深く憑給へる侍なりけれ共、童子鹿毛に矢立ぬと見て、守長は我馬召れなば、我如何せんと思ふて、主お打捨奉り、射向の袖の赤符かなぐり棄て、西お差て落行きけり、