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源平盛衰記
三十八
知盛遁戦場乗船事
其紛に、新中納言〈○平知盛〉は、井上(○○)と雲ふ究竟の馬に乗給ひたりければ、海上三町計游がせて、船に乗移りて助かり給ひにけり、知章は忽獲勇兵之言、専顕壮士之名、遂救父之死、永亡己之命、船には馬立べき所なかりければ、舟のせかひより馬の頭お磯へ引向けて、一鞭あてたれば、馬は游ぎ返りけり、阿波民部大夫成良が、あの御馬射殺給へ、敵の物に成りなんと申しけれ共、中納言は、敵の馬に成るとても、如何で我命お助けたらん馬おば殺すべきとて、遺惜げにおはしける、馬は渚に游ぎ上り、塩々とぬれて、年来の好みお慕ひつヽ、舟の方お見返りて、三度嘶たりけるこそ、畜類なれ共哀なれ、此馬は中納言の武蔵の国司にて座しける時、当国の河越より進りたりければ、名おば河越黒(○○○)とぞ申ける、余りに秘蔵し給ひて、馬の為に月に一度太山府君の祭おぞせられける、其験にや、馬の命も四十に成りけり、我御身も今度被助給ぬ、九郎御曹司、此馬お院の御所へ被進たりければ、聞ゆる名馬なりとて、御厩にぞ立られける、