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窻の須佐美

薩摩の士のかたりしは、光久朝臣〈松平大隅守従四位上中将〉の時、秘蔵の乗馬二十年に及んだりしかば、今年は国許へは引れまじ、邸中に残し置れべしとありしほどに、今日明日は立れなんと雲頃に、附のもの馬お飼とて、今年は残るげなと人に雲如くいひける、馬は頭おうなだれて、ぬかお食はず、余りにあはれげに見へければ、人々驚きあへる折ふし、朝臣側近く来り、これお見て、馬の煩ふにや、いかにかくはあると問はれしに、右のよしお申ければ、かねて秘蔵の事なれば、大に感じつゝ、いたはりてこそのこさんといひし、此上はなにとか引ざらんとて、馬の頭お撫て、自身も感涙おながして、かならず連行んと有ければ、人の聞入如くにて、元の如く勢ひ出ける程に、頓て引具して、国に趣て後、名馬なれば、種お残す為なりとて、牧へはなちおかれしかば、頓て駒お生しぬ、彼国狼多く出て、駒お取故、常に駒おば中に寐させて、親ども多く集り、外お囲ひ丸く居るなるが、やゝもすれば駒おとらるゝなるに、彼馬は、狼の出ると見ると、その廻りお走りつゞけて、折ふしは狼お蹴殺しぬる事多かりけり、一年お経て、勝れたる逸物なれば、今も乗られなんやとて、馬場にて掛に、少も前にかはらず有たりけるゆへ、いよ〳〵大切にして飼置れしとぞ、あやしきやうなれど、質直の士の語りしゆへ記し置ぬ、かつ犬馬人近きものなれば、希にさもありなんか、陸士衡が故郷へ書お伝へし犬などもあるなればなり、