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閑田耕筆

過し癸丑歳〈○完政五年〉七月二十二日、摂津高槻の近邑農家の男児、才六歳にて、馬お追て城下に出て帰るさ、道なる川に水出て渡るべからず、いかにせんと見おりける間、暮にせまりて雨いよ〳〵はげしければ、人かげもなし、童大に叫び歎きしかば、馬やがて此子お喰へてやすやす川お渡り、むかひにして地にはなつといへども、闇夜に雨篠おつくがごとくなれば、行べき方おしらざりしに、馬また先にたちて歩みければ、童も泣々綱お取て、つひに故なく我やどにかへりたり、むかへに人お出したれども、馬は間道お帰りたれば逢ざりし、さるにことなく帰りて、しかじかのよしお語りしかば、家こぞりて限なくよろこび、先馬おもてなし、明る日餅お搗て其辺の家々へ配りしが、其隣へ行たる士、その日聞て語られし趣也とぞ、凡牛馬は人の労おたすけて、世の為有益の物なること、他の獣にまされり、疎かにあつかふべきかは、牛も旧主お見しりて涙お流せし話、既に続奇人伝の評に錄せり、智も亦人にちかし、老て用る所なしとて、餌取の手に委て屠などは、其情牛馬におとれり、