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兎園小説

五馬、三馬、二馬、 著作堂稿
陸奥の伊達郡箱崎の農民伝兵衛が子に、松五郎と呼ばれしものは、その性馬お好むにより、栗毛の馬お一匹もてり、さればおり〳〵乗り走らするに、その秣飼ふことも、又撫で洗ひする事も、よろづ人には任せずして、手づからするおたのしと思へり、その馬既に五歳になりける文政二年己の卯の冬のころ、松五郎は病みわづらひて、その年の十二月十二日に身まかりぬ、〈○中略〉されば松五郎が遺愛の馬は、ぬしの不幸の事に紛れて、誰とて見かへるものもなく、才に秣お与ふるのみ、厩に繫ぎ置きたりしに、その次の夜の子の時ばかりに、馬はにはかに狂ひたけりて、絆おちぎり、戸お蹴はなちて、いづことはなく、馳せ出でたり、あるじはさらなり、僕共もこの物音に驚き覚めて、こはいかにまさしく、馬こそはなれたれ、とく追ひとめよと罵り騒ぐに、真夜中の月鮮やかなれば、松明お把るまでもなく、索お腰にし、棒お引き提げて、おのも〳〵追ふ程に、馬ははやくも松五郎が墓所のほとりに馳せゆきて、其処につどひし癖者等お駈けたふし蹄にじる勢ひ特に猛くして、当るべくもあらざりけん、矢庭に四五人蹴僕されて、しばしは起も得ざりし折、伝兵衛が奴僕等は推しつゞきて、追ひかけ来て、此ありさまに又おどろきて、あたりお見るに、松五郎があら墓お発(あばか)れたり、扠はしやつらが所為にこそ、みな逃すなと罵りて、ひとりも漏さず生捕りけり、〈○下略〉