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松屋叢考

いぬ、えのこ、
定家卿鷹三百首〈冬部〉に
はし鷹の木いとる雉のおちはまり鼻つけかぬるえのこ犬かな、群書類従本には、雉お椎に誤れり、〈○中略〉唐流鷹秘決〈第四十八、条、犬の法式ことば万の事の条、〉に、えのこ犬は、いまだ引いれ初ぬおいふ也雲々、按にえのこはえぬのこの略語なり、倭名抄〈草部〉に、弁色立成雲、狗尾草、恵沼能古久佐(えぬのこぐさ)と有にてしるし、〈古訓玉篇十三の巻草部には、莠、余受切、はぐさ、ひつぢ、いのこぐさとも見ゆ、〉そは穂に出し貌の狗尾に似たる草なれば也、為家卿歌〈夫木抄雑十、藻塩草八、〉に、
えのこ草おのがころ〳〵ほに出て秋おく露の玉やどるらん、玄旨法印歌〈室町殿日記廿の巻〉に、
えのこ草ほえかゝるこそ道理なれなたりに近き狐乱菊(きつねらんぎく)、また水楊おえのころ柳といふも、おなじ心なり、〈物類称呼三の巻、倭訓栞恵部、本草啓蒙卅一の巻、〉さて倭名抄〈毛群名部〉に、兼名苑雲、犬一名尨、〈莫江反、和名恵奴、○中略〉類聚名義抄〈仏下本巻、犬部、〉に、狗えぬ、又いぬ雲々、以呂波字類抄〈十の巻恵部〉に、狗、えいぬ、いぬ、犬子也雲々、猶えいぬ、亦作猶、謂犬子為えいぬ、猧〈同〉雲々、〈按に、えいぬといふは、えのこいぬお省たる語なり、〉節用集〈下巻恵部〉に、狗猧えのこ雲々、崇峻紀〈前紀〉に、犬うぬ雲々など見えて、古言に恵奴とも、以沼とも宇奴ともいふお、通音ならねばとて、初学の輩はおもひ惑ふめり、こはもと念(うなる)声のうえぬ〳〵〈約れば、わんわんともきこゆ、〉といふより呼し名にて、宇お省ては恵奴といひ、恵お省ては宇奴といひ、宇お通はしては以奴ともいふなりけり、武蔵相摸の方言に、犬子お、いなりこと、いへり、そは、うなりこの通音也、応仁別記に、傍は敵お指置ていなりいなり出らる雲々、
また骨皮左衛門道源が訪取れし時の落書に、
昨日までいなりまはりし道犬(だうけん)が今日骨皮と成ぞかあゆき、此いなり〳〵は念々(うなり〳〵)也、いなりまはりは、念廻也、犬〈の〉子も念ものなれば、いなりことは呼るなるべし、