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明良洪範
十八
元和太平の後、天下の貴賤、漸々花美に趣くころ、唐犬お飼はるヽ事流行し、大名役のやうに成ける、駿河大納言忠長卿、何方へか出行の時、唐犬お多く率せられ、御先お追れしに、薩摩中納言家人、世に野郎組と雲ひし士の畏て居けるに、当時駿河殿の威勢にまかせ、天が下に肘お張ける犬率ども、いたづらに彼唐犬お放しかけたり、元より逸物なれば、一文字に飛かヽりけり、彼野郎組立退ながら、刀お抜て切はらひけるに、唐犬の鼻づらかけて切割たり、其場お早々立退ければ、彼犬率ども、案に相違しければ、己が率爾は押かくし、薩州の野郎組こそ御犬お切たりけれと、支配の方へ訴へけり、駿河殿には大きに怒りて、早々使者お薩州へつかはし、犬あやめたる者お賜はるべしと有しに、薩摩守聞もあへず、唐犬は猪鹿など取らすべき為にこそ率せ玉ふべけれ、家久が家人に犬おかけられし事其謂れなし、嚙付たらんには何で捨置かるべき、切たるは猶なり、手前の犬率お吟味もせずして、他のものお唐犬切たれば出すべしとは存じもよらず、其者は帰りて候らへども、犬の代りにはえこそ出すまじけれとの返答也、大納言家よりは、是非是非請取みしといひつのる、家久意地お立るならば、江戸にては憚りあれば、交代の節追討にせよなどいかめしく雲ひつのるに、島津にても堪忍せず、元より此方の家人、道理なれば何条御連枝とて恐るべき、既に事破れんとせしに、土井利勝の聞れて、家久おなだめられ、亜相家おも異見して、扠家久に談ぜられしば、唐犬お放しかけたるは、駿河殿の知しめされたる事にはあらず、下の奴原が仕業なり、然るに御連枝へ対し、加様の事申しつのるは如何也、昔も今も下部こそわざはひの元なれ、忠長卿に無事お思はれんには、家久にも穏便こそあるべけれ、然れども御連枝へ対して対揚の礼義はいかヾなり、放犬しかけたるは、犬率の科にして、其犬に科なし、然らば犬おば追ひ払ひても有べきに、刀よごしに切たるは、島津殿の者の誤りなれば、双方対揚して見れば、唐犬切られたるは駿河殿の損なり、然れば右申す如く、御連枝へ対揚の礼義は如何なれば、駿河殿の館まで家久参られて然るべし、諸事は大炊頭に御任せあるべしとて、家久も漸得心せしかば、則同道して北丸へ案内し、式台にて薩摩守是迄参りたりと、大炊頭の申し置れて事は済けり、C 犬飼養法