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枕草子N 一
うへにさふらふ御ねこは、かうぶり給はりて、命婦のおもとゝて、いとおかしければ、かしづかせ給ふが、はしに出たるお、めのとのむまの命婦あなまさなやいり給へとよぶに、きかで日のさしあたりたるに、うちねぶりていたるお、おどすとて、おきなまろ(○○○○○)〈○犬名〉いづら、命婦のおもとくへといふに、まことかとて、しれものはしりかゝりたれば、おびえまどひて、みすのうちにいりぬ、あさがれいのまにうへ〈○一条〉はおはします、御らんじて、いみじうおどうかせ給ふ、ねこは御ふところにいれさせ給ひて、おのこどもめせば、蔵人たゞたかまいりたるに、此おきなまろうちてうじて、いぬ島につかはせ、たゞいまとおほせらるれば、あつまりてかりさはぐ、むまの命婦もさいなみて、めのとかへてん、いとうしろべたしとおほせらるれば、かしこまりて御前にも出ず、いぬばかり出て、たきぐちなどしておひつかはしつ、あはれいみじくゆるぎありきつるものお、三月三日に、頭弁、柳のかづらおせさせ、もゝの花かざしにさゝせ、さくらこしにさゝせなどしてありかせ給ひしおり、かゝるめ見んとは、おもひかけんやとあわれがる、おものゝおりはかならずむかひさぶらふに、さう〴〵しくこそあれなどいひて、三四日になりぬ、ひるつかた、犬のいみじくなくこえのすれば、なにぞの犬のかくひさしくなくにかあらんときくに、ようづの犬どもはしりさはぎとぶらひにゆき、みかはやうどなるものはしりきてあないみじ、犬お蔵人二人してうち給ひ、しぬべし、ながさせ給ひけるが、かへりまいりたるとててうじ給ふといふ、心うのことや、おきなまろなり、たゞたかさねふさなんうつといへば、せいしにやるほどに、からうじてなきやみぬ、しにければ、門のほかにひきすてつといへば、あはれがりなどする、夕つかた、いみじげにはれ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わなゝきありけば、あはれまろか、かゝるいぬやは、このごろは見ゆるなどいふに、おきなまうとよべどみゝにも聞いれず、それぞといひ、あらずといひ、くち〴〵申せば、右近ぞ見しりたるよべとて、しもなるお、まづとみのことゝてめせばまいりたり、これはおきなまろかと見せさせ給ふに、似て侍れども、これはゆゝしげにこそ侍るめれ、又おきなまうとよべば、よろこびてまうでくるものお、よべどよりこず、あらぬなめり、それはうちころしてすて侍りぬとこそ申つれ、さる物共の二人してうたんには、生なんやと申せば、心うがらせ給ふ、くらうなりて物くはせたれどくはねば、あらぬものにいひなしてやみぬる、つとめて御けづりぐしにまいり御てうづまいりて、御かゞみ持せて御らんずれば、さふらふに、犬のはしらのもとについいたるお、あはれきのふおきなまろおいみじう打しかな、しにけんこそかなしけれ、何の身にか此たびはなりぬらん、いかにわびしきこゝちしけんと、うちいふほどに此ねたるいのふるひわなゝきて、なみだおたゞおとしにおとす、いとあさまし、さてこれおきな丸にこそありけれ、よべばかくれしのびてあるなりけりと、あはれにて、おかしきことかぎりなし御かゞみおもうちおきて、さはおきなまうといふに、ひれふしていみじくなく、御前にもうちわらはせ給ふ、人々まいりあつまりて、右近内侍めしてかくなどおほせらるれば、わらひのゝしるお、うへにもきこしめしてわたらせおはしまして、あさましう犬などもかゝるこゝろある物なりけりと、わらはせ給ふ、うへの女房たちなどもきゝにまいりあつまりて、よぶにもいまぞたちうごく、なおかほなどはれためり、ものてうせさせばやといへば、ついにいひあらはしつるなどわらはせ給ふに、たゞたかきゝて、大ばん所のかたより、まことにや侍らん、かれ見侍らんといひたれば、あなゆゝし、さるものなしといはすれば、さりともついにみつくるおりも侍らん、さのみもえかくさせ給はじといふ也、さてのちかしこまりかうじゆるされて、もとのやうになりにき、なおあはれかくれて、ふるひなき出たりしほどこそ、よにしらずおかしくあはれなりしか、人々にもいはれてなきなどす、