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蒹葭堂雑錄

完永の初の頃、尾州熱田白鳥の住持慶呑和尚、浜松普済寺の住職に当り入院せられ、一両日過て町の徒、薄黒色の犬お一匹連来て、寺に飼給へと勧む、和尚見て毛色いと珍しき犬なりとて、留置て飼給ひしが、年限すみて退院せらるゝ時、彼犬も又用なしとて、本つれ来りし男の方へ帰されしが、其夜和尚の夢に、彼犬来りて我は足下の親なり、連て行飼べしといふ、和尚夢さめて翌朝僧衆に向ひ、扠々犬と言ども油断のならぬ者かな、我親なる程に連て行よと告るなりと笑ひて語られけるが、又次の夜の夢に同じく犬来つて、我実に其方の親なり、若連て行めされずば御身の命お取べしといふ時に、和尚夢さめて大に驚き、今は疑ひお晴し彼犬お呼かえし連て熱田へかへられしが、白鳥にては此犬地お踏ず、座敷にのみ居て、飯お喰にも和尚と相伴にして、夜は和尚の閨に臥す、完永十年の頃、江湖お置れしが、彼犬和尚と同く一番の座の飯台に付ゆへ、大衆見て数々嗔り、何の訳ありて斯畜生と一所に飯台に付ことあらん哉、是お止給はんずんば江湖お分散せんといふ、和尚きゝて大衆に割ていはく、其憤所理なり、去ながら此犬は我親なり、其故は如何々々なり、宥し給へと詫言せられしかば、大衆も漸承引て堪忍せり、彼犬江湖の次の年死す、其時龕、幡、天蓋お拵、念頃に送り、三日の中懺法お修し弔らはれしぞと、本秀和尚のたしかに知て語られしとなり、〈江湖会といへるが、彼宗において仮初ならぬことにして、大勢の禅僧其寺に集り、永く滞留して勤る也、〉