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松屋筆記
六十二
犬お愛す及犬医師
護国太平記〈柳沢氏成立お記す〉三の巻、柳沢美濃守、甲斐国拝領事の条に、何某の院、将軍〈○徳川綱吉〉お申進め、猨に生類の命お取る事は、誠に其報恐しく、此一事急度上意有之、生類の命救給はゞ、御子孫万々代といふとも尽〈る〉事不可有之、目出度御代おいつ迄も治給はん御計らひ、何事か是にしかん、とりわけ君は、正保三丙戌正月八日御誕生なれば、生類の内にて犬おば分て御愛愍有べしと、詞お巧にして申上〈る〉、さしもの御明君如何成天魔の見入けん、猶と御賢慮遊ばし、厳しく申渡すべしとの上意に依て、美濃守下知お伝ふ、是より江戸町中犬食に飽き、北条九代高時禅門が所為に過たり、子お生(なす)時は其一町の家主下役名主に訴、年寄に告げ、町奉行に至り、犬医師といふ者有て、うやうやしく礼お掛て招き、犬の脈お伺ふなどゝて、術お尽して薬に大人参お用ひ、命危き迚薬店へ人お走らせ、或は布蒲団新に仕立重ね敷き、又上より布浦団お以覆〈ひ〉、美食お調へ、美肴お調味し、二七日の内は昼夜朝夕数十人代り〳〵張番し、繁き店中お明て是おいれ、三七日にいたり、犬医師の指図にて気晴し足ならし迚、所の家主下役五人組縄お取て其犬お引き、十間二十間も町筋お引廻る、其うつけたる有様前代未聞の事也、誤て犬に疵付、万一犬死する時は、申訳くらきものは、其品に依て死罪、又は遠島挙て数へがたし、北条高時、犬お集て戦せしのみ、未犬の代として重き人倫の命お取し事不聞雲々、按に三国志呉孫皓犬お愛して闘犬の戯おなし、太平記相摸入道また闘犬の遊戯おなせし、犬医師はおさ〳〵ものに見えねど、物理小識に、犬病お療治する方あり可考、