[p.0183][p.0184]
窻の須佐美

元禄年中、殺生の禁甚しかりける時、芝辺にて犬お切しものしれざりしかば、疑しきものは、先執へて推問ありしかど、その証いまだ明らかならざる時に、薩摩の邸外に、手紙に血附たるありとて差出す、その名薩摩の臣なりしかば、町奉行に差出して問れしに、その士の雲、窻の中にて髭お剃候とて、面お余ほど切て候、手元に紙なくして、折から有合候ゆへ、反古にて血お押拭ひ、窻に置しお、風の吹ちらして、窻の外へ落失候ゆへ、そのまゝにて置しとて、則疵おも見せつ、されども名の記したる紙に、血の附たれば、先吟味のうち、揚屋に往て居られよとありしかば、士雲、某名記したる紙に血の付たるが落去り候は、運命に候、則御仕置に被仰付給るべし、揚屋へは得参るまじといふ、奉行これお聞て、もつともには候へども、証も跡もなきに、死罪に処すべき様もなし、三度も吟味する法なればかく雲たり、揚屋は旗本の面々も度々入置、事済たる後少も恥辱なる事はなし、大法なれば入置ばかりなりとあり、士の雲、さも有べく候へども、公儀は広き事ゆへ、人々得申候なり、吾国は小国にて、心も小く候へば、一度左様の事にあひ候ては、朋友みな交りも断申事に候得ば、おのづから主人へも召使がたく候、左候はゞ、国おはなれ、他へ出る事は得せず候、いかなる死刑にも処せられ候へば、大幸に候、若事済、出牢にては自殺より外なく候、此御情に、今日重科に処せられ給へと、くれ〴〵と雲しかば、奉行にも古き大家の作法、さもこそ有べく候へ、と感歎して、然ば吟味の中、留守居中へ預り申され候へ迚、帰されつゝ、一両度尋の上に済たりしと、