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更科日記
おなじおりなく成玉ひし侍従大納言〈○藤原行成〉の御むすめの書お見つゝ、すゞろにあはれ成に、五月ばかり、夜ふくるまで、物がたりおよみておきいたれば、きつらんかたもみえぬに、ねこのいとながうないたるお、おどろきて見れば、いみじうおかしげなる猫あり、いづくよりきつるねこぞと見るに、あねなる人、あなかま人にきかすな、いとおかしげなる猫なり、かはんとあるに、いみじう人なれつゝ、かたはらに打ふしたり、尋ぬる人やはと、是おかくしてかふに、すべて下すのあたりにもよらず、つとまへのみありて、ものもきたなげなるは、ほかざまにかほおむけてくはず、あねおとゝの中につとまとはれて、おかしがりらうたがるほどに、あねのなやむ事あるに、物さわがしくて、此ねこおきたおもてにのみあらせてよばねば、かしがましくなきのゝしれども、なおさるにてこそはとおもひてあるに、わづらふあねおどろきて、いづら猫はこちいてことあるお、などゝとへば、夢に此ねこのかたはらにきて、おのれはじゝう大納言殿の御むすめのかくなりたる也、さるべきえんのいさゝかありて、この中の君のすゞろにあはれとおもひ出たまへば、たゞしばしこゝにあるお、此ごろ下すのなかにありて、いみじうわびしきことゝいひて、いみじうなくさまは、あでにおかしげなる人と見えて、打おどろきたれば、此ねこの声にて有つるが、いみじく哀成とかたり玉ふお聞に、いみじくあはれ也、そののちは此ねこお北面にもいださず、おもひかしづく、たゞひとりいたる所に、此ねこがむかひいたれば、かいなでつゝ、侍従大納言の姫君のおはするな、大納言殿にしらせ奉らばやといひかくれば、かほおうちまもりつゝ、なかようなくも、心のおもひなし、めのうちつけに、れいのねこにはあらず、きゝしりがほにあはれや、〈○中略〉そのかへる年〈○治安三年〉四月の夜中ばかりに火のことありて、大納言殿の姫君と思かしづきし猫もやけぬ、大納言殿のひめ君とよびしかば、聞しりがほになきて、あゆみきなどせしかば、てゝなりし人も、めづらかに哀なること也、大納言に申さむなどありし程に、いみじうあはれに、口おしくおぼゆ、