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武江年表

嘉永五年壬子、浅草花川戸の辺に住る一老嫗、猫お畜て愛しけるが、年老て活業もすすまず、貧にして他の家に寄宿して、余年お送らんとせし時、その猫に暇お与へ、なく〳〵他家へ趣しが、其夜の夢中に、かの猫告ていふ、我かたちお造らしめて祭る時は、福徳自在ならしめんと教へければ、さめて後その如くしてまつる、夫よりたつきお得て、もとの家に住居しけるよし、他人此噂お聞て、次第にこの猫の造り物お借てまつるべきよしおいひふらしければ、世に行れて、いくらともなく今戸焼と称する泥塑の猫お造らしめ、これお貸す、かりたる人は、布団おつくり供物おそなへ、神仏の如く崇敬して、心願成就の後、金銀其外色々の物おそへて返す、其〓は浅草寺三社権現鳥居の傍にありて、此猫お求るもの火し、此事児女輩といへども、心ある人は用ひず、まして大人の駭くべきにあらずといへども、此頃は丈夫も窃にこの猫おかりて、祈りけるもこれあるよしなりしが、四五年にして此噂止みたり、〈○中略〉 夏の頃より神田松枝町なる大工保五郎が畜猫、鼠お愛して乳おふくませ、我うみ落せし小猫とともに養育す、