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一話一言
四十八
奥州赤鼠
延宝七年四月比、奥州津軽領浦人磯山の頂上に登りて海原お見わたせば、おびたゞしく鰯のより候様に見へければ、猟船おもよふし網お下げ引上げ見れば、下腹の白く頭と脊通りは赤き鼠億々無量、網にかゝりあがるや、浜へひきあげ人々立寄りうちころしたり、其鼠の残りどもことごとく陸へあがり、南部佐竹領まで逃ちりて、あるひは苗代おあらし、竹の根お喰ひ、あるひは草木の根お堀起し、在家へ入りて、一夜のうちに五こくおそこばく費す事際限なかりし、山中へ入たる鼠ども毒草こそありつらめ、一所に五百三百づゝ、いやがうへにかさなりて死てありしとかや、
近頃下総のしんかいといふ処にても、猟師の網に鼠かゝり、網お損ぜしといふ、船子のいふに、 島わたりの鼠ともいふ、完政三辛亥年、美濃国大垣に鼠つきて、五穀お損ぜしといふ、戸田采女 正殿領分なり、