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源平盛衰記
三十三
依行家謀叛木曾上洛事
斯りける処に、木曾西国下向之時、乳母子の樋口次郎兼光おば、京守護に候へとて、留置たりけるが、十一月○寿永二年二日早馬お立て、十郎蔵人殿こそ、鼬のなき間の貂誇(てんほこり)とかやの様に院のきり人しお、院宣お給り、木曾殿お可奉誅、其聞へ候へと申したりければ、〈○下略〉