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視聴草
三集六
紫猿(○○)
越後国頸城郡に住る猟師六蔵といへるもの、鹿お狩んとて山中に入り、あやまりてしゝ穴といふおとし穴へ落いりけり、此穴深さ弐丈計も有ければ出べきやうなく、とやかくせしうちに夜も明ぬれども、人の来べきところならねば、隻大空おのみあふぎ居たりけるに、いづくよりか猿五つ六つ穴の上に来り、人あるおあやしむ体にて、穴の中おうかゞひいたり、六蔵これお見て人に物いふごとく、ぬかづきて、われ誤りて此穴に落、出べきやうなし、なにとぞたすけくれよといふ、猿ども聞てがや〴〵とさゝやきつゝ、いづくにかゆきたりけるが、ほどなく猿の声聞ゆとおもふ程に、此度は二三十打むれ来り、穴のめぐりお打かこみ、かしましくさけびあひしが、又打むれて去りぬ、いかゞなり行ならんと心ぼそくおもふうちに、丈高く毛いろ紫なる猿さきにすゝみ、先のましらどもおひきい来りて、穴のうちおのぞみ立て指揮するさまなれば、六蔵うやまひふしおがみて、たすけ給へとこふ、かのさるどもいつくよりか藤づる一筋もち来りて穴の中に下し、とりすがれといふべきさまなれば、其つるにとりつきければ、猿ども力おあはせて引あげたり、あまりにうれしければ、再生の恩ねもごろに謝し、猿のかげ見ゆるかぎりふしおがみてぞありける、さるにてもさきの紫猿こそ二なきものなれ、かれが皮おはぎて毛ごろもとなしたらんには、黄金お得べきものならめと、まさなき心さし起りて、携居たる鉄砲に玉薬おこめ、かの猿のあとおうかゞひ行、一うちにうちころし、皮引はぎて山お下り、やがて国のかみにたてまつりければ、未曾有の宝也とて深くめでたまひ、黄金そくばく賜ふべし、さりとても、いかにしてか主るものは得たるや、いかなる山にて猟し及たるやと問給へり、六蔵さきのことどもつゝまず聞えあげたりければ、領主ことにいかり給ひ、たとへ禽獣にまれ再生の恩お忘れて、却て其皮おはぎ来ること、鳥獣におとれる罪人なりとて、有司に命じ、六蔵おひとやにつなぎ、やがて生ながら身の皮引はぎ、命おめされけると也、