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牛馬問

柳生但馬守殿、猿お弐匹飼給ひ、常々打太刀にして、剣術し給ひしに、此猿ども至極業に通じて、初心の弟子衆は、いつも此猿に負しと也、援に或浪人、鎗お白慢にて、何とぞ柳生公へ出合度と思ひ、縁お求て至り、対面の後、扠私儀少々鎗お心懸候、作憚御覧被下といふ、但州聞玉ひ、安き事ながら、先此猿と立合見られよと有時、件の浪人大に腹あしき顔色にて、是はあまりなる事と申に、猶なれども、先立合見られよと有故、是非なく竹刀お持かゝりければ、猿も竹具足に面おかけ、小きしなへお持て、互に立合、彼もの隻一突に突倒さんと懸りしに、猿つか〳〵と㑋(くヾつ)て、何の造作もなく、件の男お打たり、案に相違し、今一度と望ければ、又一匹の猿お出さるゝに立合、又此猿にたゝかれ、大に面目お失ひ帰り、それより四五十日程は、夜お以て日につぎ精心に工風おつくし、又柳生のもとへ行、対面の上、扠件の猿と立合申度と望ければ、但州聞玉ひ、見申に其方工夫先日よりも殊外上達也、今度は猿ども中々勝事成がたし、夫とも立合見られ候へとて、猿お出さるるに互に相向ひ、いまだ鑓お出ざるに、猿大に諦て逃しとなり、件の男も、但州の門弟となり、奥義お伝へたりといふ、これ猿さへも、学ぶ所おしれば、人中の有無(うむ)お知、況や人として妙術お備へまじきや、