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春波楼筆記
備前岡山より二里過ぎて、宮内と雲ふ処に、茶屋あり、遊女ある処なり、夫より二里右の方へ入る、足守に至る、援は木下侯の領地なり、留まる事数日、予〈○司馬江漢〉鹿の生血お啜らん事お雲ふ、領主俄に狩に出でられけるに、漸く鹿一匹お獲たり、則生きたる鹿の耳元お、小づかお以て衝き破り、血お啜りければ、人々懼れおなしける、予薄弱なれば、鹿の生血は至りて肉お養ふ良薬と聞く、然れども得がたき物なり、又ある時、鹿の肉お喰はんとて、料理人に雲ひ付けゝるに、煙り臭くして、一向に喰ふ事能はず、何なる故と問ふに、此所は吉備津の宮あり、皆其神の氏子なるにより、獣類は穢とて之お忌み嫌ふ事なり、故に外に竈お造り、鼻に気の入らぬ様に、長き半お以て煮たる故、あんばいあしゝと雲ひければ、夫故に吾生血お呑みたる事お聞く者、如鬼思ぶも猶ぞかし、