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比古婆衣

鹿のちがへ袋草紙に、吉備大臣夢違の誦文の歌とて、あらちおのかる矢のさきに立る鹿もちがへおすればちがふとぞきく、拾芥抄に夢誦とて、から国のそのゝみたけに鳴鹿もちがへおすればゆるされにけり、といふ歌見えたり、いかなる事およめるにかと、年頃いぶかしくおもひつるに、この武蔵の多摩郡松原村阿伎留神社の神主阿留多伎貞樹が、おのれ〈○伴信友〉がもとに来かよひて、物かたらふちなみに語りけらく、前年吾里へ筑紫人某が歌などこのめるおもむきにて、諸国おめぐるなりとて、しばし人の家に来逗りてありけるが、あるじとものがたりするお、かたはらにてきゝおりつるに、さきに紀伊国熊野にものせし時、山路おふみまよひて、からくして谷蔭なるさゝやかなる一家お見つけて、たのみてやどりぬ、猟人の家なりけり、初夜過ぐるころ、若き男の鉄炮お持たるが帰り来て、今日は大鹿に逢ひつれど、え射とらざりつるこそくちおしかりしかとつぶやくお、父と見ゆる翁の、其はちがへせられためりとうちいひてあるに耳とまりて、そのちがへとはいかなる事おするにかと問ふに、鹿の猟人に遭たる時、此方に向きて前足おやりちがへてつき立て、見おこせてある事おするお、ちがへおすといふなり、かれが然して立向へるときは、いかによくしたゝめねらひても、いつも射はづしはべるなり、但し若き鹿は然ることせず、大なる老鹿には、おり〳〵さることしはべりとこたへたりとて、何とかや古歌お誦して、鹿のちがへおすといふ事、これにて知られたりといへり、さるはいかなる歌のあるにかと問ふに、かのあらちおの雲々の歌なるべしといへば、さりけり〳〵といひて、さてかたりけるは、おのれが里わたりの山里人の、山深く入らむとするには、まづその山口に向ひ、左の足お上にやりちがへ、つき立て心おふとくもちて入るなり、しかすれば山中にて災に遭ふことなし、また山入ならでも、ことさらなる事ありて、ものへゆくときも、然するならひありといへり、あやしくめづらしきことなり、