[p.0343][p.0344][p.0345]
利根川図志

稲荷藤兵衛(たうかとうべい) 佐倉より一里余り東の方墨村の百姓なり、この男常に狐おとる事に妙お得たり、故にたうか藤兵衛といふ、〈物類称呼に、世俗きつねおいなりの神使なりといふ、故に稲荷の二字お音にとなへ てたうかと称るなるべし、〉藤兵衛常に白分居屋鋪の裏にぶつちめ〈狐お捕る仕かけ也〉お拵らへ置、此所へつれ来りて捕と雲、ある時用事ありて、常州水戸へ往し帰り、おなばけの原にて、狐に出逢し故、この狐お欺し誘して、我が家へつれ帰り、裏山のぶつちめにかけて捕しとなり、此道法十里あまり在て、その内に舟渡三け所ありといへり、また或日藤兵衛千葉野お通りける時、狐に出逢し故、欺し来りてぶつちめに懸んとしたりしが、古狐ゆえ、中々手安くかゝらず、一両日過て、かの狐、隣家の忰に化て、夜半のころ、藤兵衛が家に来り、表の戸お叩き、藤兵衛〳〵、ぶつちめへ狐がかゝつたり、はやく起よ〳〵と雲けるゆえ、藤兵衛ふと目おさまし雲けるやう、今夜はぶつちめお懸はぐつたり、狐のかゝるべきやうなし、欺しおるなといひすてゝ、偶然と寝て仕舞たり、翌朝藤兵衛が雲けるは、夜辺隣の忰ぶつちめにかゝつたり、行て見べしといひける故、家内の者起いでゝ至り見るに、大なる古狐一匹かかり居たりしとなり、〈藤兵衛めざましにとなりの忰お狐なりとさとり、即智のあいさつ誠に名人と雲べし、〉また或村に狐多く住て、人家の鶏など捕り食ふゆえ、村内の若者ども相談して、かの藤兵衛おたのみ来り、狐お捕る所見たきよし望みければ、いと心安き事なり、おもしろき仕方して捕て見すべしとて、まつ地蔵堂の庭の隅にぶつぢめお仕かけ置、我は山に到り、此所へ狐お連来りてとる故、各々は此堂の内にて見物すべしと、表に竹のすだれおさげ、大勢この内に隠れ居たり、藤兵衛はやがて支度と主のへて山に入、酒に酔たる声色にて、大声あげ、きつねはおらぬか、狐やあーいたうかにはやくめぐりあひたやなどゝ、さん〴〵に呼はりながら、山中おめぐりありくに、程なく藤兵衛狐おつれ、大酔の身ぶりにて、かの堂の前に出来りぬ、腰に二尋ばかりの縄おつけ、その先に鶏の死したるお結び付、よろよろ〳〵として引ずりありく、狐は是お捕らんとして、後になり前になり欠まはる、やがて藤兵衛懐よりごまめお落す、〈こは〉大切の物お落したり、〈この〉ちくしやうめ、うぬに食れてたまるものか、〈そう〉うまくはまいるまいなどゝ、ひとり言して、かのごまめお拾ひながら、終にたふれ臥したり、狐はそろ〳〵そばへより、拾ひ残しごまめおとり食ひ、又後の方へ廻りて、かの鶏お曳く、藤兵衛目お覚し、足おあげて是お追ふ、かくする事度々なり、狐は楙れて側のぶつちめに近より、しばらくやうすお伺ひ、段々となかへ這入、幾度も匂ひおかぎ、終に餌おくはへて横とびに飛いだす、其拍子に刎木はづれてぶつちめにかゝりぬ、其自由なること、実に座舗の猫お嘲哢するが如し、予藤兵衛に逢し時、餌は何なる哉と尋たれば、鼠の油揚なりといへり、〈然るやいなや〉佐倉の儒臣窪田某、狐藤兵衛の伝あり、雲、城之東墨村有猟者、名藤兵衛、善捕狐、人呼曰稲荷屋、稲荷司穀神也、或謂神即狐也、或謂狐神所使、故謂狐亦曰稲荷、以藤兵衛捕狐べ又転曰稲荷屋雲、〈○下略〉