今昔物語

二十五

春宮大進源頼光朝臣射狐語第六
今昔、三条院の天皇の春宮にて御坐ける時、東三条に御坐けるに、寝殿の南面に春宮行かせ給ひけるに、西の透渡殿に殿上人二三人許候けり、而る間辰巳の方なる御堂の西の檐に、狐の出来て臥し丸びて臥せりけるに、源頼光朝臣の春宮大進に候けるに、此れは多田の満仲入道の子にて極たる兵也ければ、公も其道に仕はせ給ひ、世にも被恐て士有ける、其れが其の時に候けるに、春宮御弓と、ひきめとお給ひて、彼の辰巳の檐に有る狐射よ卜仰せ給ければ、頼光が申す様、更に否不射候はじ、異人は射して候ふとも弊くも不候、頼光に至ては射候ひなむ無限り恥に可候し、然りとて射宛候はむに於ては可有き事にも不候は、若く候ひし時、自然ら鹿などに罷合て、墓墓しからねども射候ひしお、今は絶て然る事も不仕候はねば、此の様の当物などは、今は箭の落る所も思工不候と申て、暫く不射事は此く申さむ程に逃てや去ぬると思ふ程に、惡ヴは西向に居て吉く眠て可逃くも非ず、而る間まめやかに射よと責なせ給へば、頼光辞び申し煩て、御弓お取てひきめお番て亦申す様、かの候はヾこそ仕り候はめ、此く遠き物はひきめは重く候ふ、征箭してこづ射候へ、ひきめは更に否や不射付候らむ、箭の道に落て候はむは射殺し候はむよりも鳴呼奇候し、此は何に可仕き事にか候らむと、紐差作ら表の衣の袖おまくり、弓頭お少し臥せた、弓お箭つかの有る限り引き絡て箭お放たれば、箭の行くも暗くて不見えぬ程に、即ち狐の胸に射宛てつ、狐頭お立て転て逆様に池に落入ぬ、力弱き御弓に重きびきめお以て射れば、極く弓勢射る者也とも不射付して、箭は道に可落き也、其れに此狐お射落しつるは希有の事也と、宮より始奉て候ふ殿上人共も皆思けるに、狐は水に落入て死にければ、即ち人お以て取て令棄つ、後宮極く感ぜさせ給て、忽に主馬の御馬お召て頼光に給ふ、其の時に頼光庭に下て、御馬お給はりて拝してなむ上ける、然て申けるは、此れは頼光が仕たる箭にも不候は、先祖の恥せじとて、守護神の助けて射させ給へる也となむ申て罷出にける、其後頼光親しき兄弟骨肉に会ても、更に我が射たる箭にも非ず、此れ可然き事也となむ雲ける、亦世間にも此事聞えて、極く頼光おなむ讃けるとなむ語り伝へたるとや、