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北条五代記

北条氏康和歌の事
聞しは昔、北条氏康公、近習に仕へし高山伊与守といふ老士かたりけるは、氏康は、文武の達人、弓矢お取て、関八州に威おふるひ、東西南北に敵有てたゝかひ、昼夜いくさ評定やんごとなく、寸暇おえ給ばず、され共、すきの道にや、其内にも、和歌おこのましめ給ひたり、〈○中略〉或夕つかた高楼にのぼり、すゞみ給ひける時に、其近辺へ狐来て鳴つるお、御前に候する人々、あやしみけれ共、兎角いふ人なし、梅窻軒と雲者申けるは、むかし頼朝公、信州浅間見はら野の御狩に、狐鳴て北おさして飛さりぬ、〈○中略〉誰か有、歌よみ候へと仰下されければ、〈○中略〉武蔵の国のぢう人愛甲三郎季隆、〈○中略〉と申ければ、君聞召て、神妙に申たり、誠に狐におほせて吉凶有べからずとて、上野の国松井田にて、三百町お給はるとかや、愚老和歌の道おまなび、とくおよばぬまでも案じて見候べきおと申、氏康きこしめし、夏狐鳴事珍事なり、皆々歌お案じ、出来次第に一首仕るべしと仰有ければ、各各案ずる体見えけれ共、詠人なし、やがて氏康公、 夏はきつねになく蝉のから衣おのれ〳〵が身の上にきよ、とよみ給ひしに、夜明て見れば、其狐の鳴つる所に死て有けり、皆人奇妙不思議也と感じあへり、