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海西漫錄
初編二
多磨川狐
武蔵国多磨郡多麻川ぞひの村落に、夫婦の間に子ひとりもてる農民有けり、秋のすえつかた、その夫田に出て稲お苅けるに、稲の間にいと可愛らしき狐子の昼寝しておるお見る、よく寝入てさめざれば、驚かすも便なきわざ也とて、其所の稲おば苅のこして、外の稲おぞ苅ける、かくて其田の稲おば苅尽しつるに、狐子はなほ熟睡してさめざれば、是非なく寝入たる狐子お両手にて抱へ、邪魔にならざる所へ移し置き、さて其稲お苅終て家に帰るに、狐子はなほよくねてぞ有ける、かくて其夜夫婦のものは、中に小児おねさせてふしけるに、夜あけて起出て見るに、中にねせたる小児見えず、夫婦はいたく驚きて表の方に出て見るに、小児は門口に血まみれになりて死てあり、母は其死骸おいだきあげ、こは何者の所為そや、此様に幾所もからだに瘡おつけたるは、なぶり殺にしたるのか、あな痛ましやかなしやと、歎き悲しむ事限なし、夫いふ、昨日田に出て稲お苅けるに、しか〴〵の事あり、吾は狐子お憐てこそ驚かせもせざりしに、親狐の疑ひて恩お仇にてかへしたるならん、憎き狐のしわざかなといへば、妻ははじめてかくと聞き、さては此在所の穴に住む狐のしわざに候や、憎き狐の所為かなとて、小児の死骸お抱きながらかの狐の住む穴にゆきて、穴の口に小児の死骸お投著て、おれ狐これお見よ、いかに四足なればとて、恩お仇にして吾子お殺した、よくも〳〵むごたらしく此子の命お取たるぞ、おれ畜生こゝに出よ、おれが命は吾取んと、声のかぎり、およそ半時ばかりも罵て、せんかたなければ、また小児の死骸お抱て家に蹄り、やうやく野べにぞおくりける、其夜は夫婦ともに愁傷て夜もねられず、暁がたにおきいでゝみ見れば、昨日小児のころされて有つる門口に、お狐め狐二匹、葛にて頸くゝりて死てぞ有ける、此二匹の狐はじめは、我子のたしなめられし事と心得、其恨お報ひつるに、たしなめられしにはあらで、いたはられし事お聞知り、其理にせまりて頸くゝりたるにやあらん、ごは近き年ごろの事にて、此国府中の人の物語にて聞ぬ、