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秋里随筆

孝狐死孝
粤に肥前国養父郡小畑むらといへるに仁右衛門といふあり、きはめて家貧しければ、下作おして、漸ほそきけぶりおたてけるが、よはひ五十に傾ければ、農夫の業つとめがたく、竹の皮おもつて小笠おぬひ、老のわざとなして世お過しける、然にひとりの子お持けるが、生得農夫の業おきらひ、山ちかければ、平日に山ふかく入て、鹿兎の類おうち野外に出ては雉子うづらおとり、専殺生お好けるが、遂そのわざに長じ、許多の価お得ける、ざれども父仁右衛門は其わざお嫌ひ、おりにふれて異見すといへどもさらに用ず、日終夜終山に入ける、頃は秋も末なりき狐おおとさんため、輪穴(わな)お工かけおきけるが、かならず狐お獲(おとす)こと夜毎なり、こよひも黄昏より出行ける、父なるものふかくもうれい、三更のころまでも念仏してありける折しも廿日月のかげいと薄くさしのぼり、秋風薄衣お通して寒く、さながら夜いたく更ぬるよと思ふ時、誰となく外面より仁右衛門が名おさして呼声頻なり、仁右衛門あやしみ、称名お止、聞てけるに、まさしく我名お呼ぶ事たしかなりければ、誰なるやと頭おめぐらして見てあるに、こは人ならで障子の外面に狐のかたち忽然とうつりぬ、仁右衛門猶あやしく、女我名おさして呼ぶ子細かたるべしといふ、野干うなづきて、我こよひ推参せし事、翁にひとつのねがひあり、あはれかなへたびてんやといふ、仁右衛門いらへて、その品によつてかなへ遣すべしといふ、野干礼おなして、そも我は此山僻に住る野狐なり、父なるものひさ〴〵病にふして、今なお大事におよべり、よつて兄弟七匹の子狐、父がまくらによりて、一たび命お救ん事お庶幾するといへども、且て術なし、唯一品の良薬あり、則鼠の油揚なり、是お得ば完病治すべしと、扠こそ兄弟のものこれおもとめんと夜毎に出けるに、終かへり来らず、おの〳〵猟人のためにとらるゝ事六匹なり、こよひは是非我きてこれお得んとするに、命お失ふ事かならずなり、さもあらば此のち是おもとむるものなければ、父病の花めに死すこと眼前なり、よつて翁にねぎまいらす事外ならず、何とぞかの良薬にひとしき品われにあたへたまはらば、一度父おすくひ申たしとわりなくも話ぬ、仁右衛門つく〴〵おもへらく、狐すらかくまで孝お思ふ、人間盍孝おわきまへざらんやと、野狐が孝お感じ、いかにもやすきねがひなりと、件の油物お持出、女苦此匂ひのたへがたく、輪穴の一物お得むとせば、かならず命お失ふべし、さあらば此品誰あつて父にあたえんや、其厚味おあぢはひしりて、いさゝか輪穴に心おかけず、此品父に与へ厄きお救ふべしと、今ひとつの油物おとり遣て食させける、野狐よろこびにたへず、九拝してうちくらひける、仁右衛門今一つの油あげお竹の皮に包み、野狐が首に結ひつけ、早々かへしける、とかくして仁右衛門は臥間に入て寐、一睡の夢のさむる頃、忰なるもの獲うちかたげ家にかへり、父にかたりけるは、こよひ怪有のえものおしたり見たまへと、かの獲お父が前に出しけるお見てあるに、竹の皮お首にまたふたる狐なり、仁右衛門大に嘆じ、ありししかじかの赴おかたりけるに、さすが情なき匹夫といへども殆感服し、忽其業お棄て父お伴ひ回国修行に出けるとなん、世にかゝる発心まゝすくなからず、