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信濃奇談


むかしいづれの頃にや、坂井の里に、浦野氏なる男ありて、妻おむかへ子一人もてり、母添乳して昼寐しけるに、此子おき出て母さまこそ尻尾はえたり〳〵と高声していひければこの母おどろき、人にしられつる事の恥かしと思ひけん、いづ地へか走り行て再かへらず、その夜のうちにおのが田地に悉稲生たり、こは此母の植たるにやあらん、殊に其としは実のりて、獲もの多くして家さかへ、今この子孫多くなりしに、皆乳の下にまた乳の形あり、幾人となく必そのしるし有けり、小笠原歷代記に、長時の妻は浦野弾正正忠が娘なり、狐の人に化して産る処なりと、さらば此浦野氏はかの正忠が子孫なるおかくいひ伝へけるにや、