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泊泊筆話
一橘枝直〈はじめ為直といへり、後枝直とあらたむ、〉は、いとますらお心たくましき本性にて、いさゝかもめめしき事なかりし人なりき、若かしりほど、おほやけのおほせごとゝして、町のつかさの下づかさにめしあげられて、住みぬべき居処給へりしに、やがてそのかまへのうち見ありくに、たつみの角に稲荷のほこらあり、枝直おもふに、ほこらこゝに有りて、家づくりせむにたよりあしく、所おかへばやと思へど、今までかく有り来りし事なれば、さておきぬ、かくて日比ふるに、朝ゆふこのみ飼へる小鳥、ともすればうする事幾度といふことなし、いといぶかしきことにおもひたるに、あるあした小鳥またうせたり、こめおける籠もくだけぬ、枝直いよ〳〵いぶかしみて、庭のうちこゝかしこ見めぐりみありくに、稲荷のほこらのあたりに尾羽ちりみだれたり、枝直怒りて、年久しくつかひならせる老つぶねお呼びて、とも〴〵にほこらお取りのけつゝ見れば、狐の住所と見えて穴あり、親狐はおりあはせずして、生れ出でゝ二日三日も経つるばかりの、子狐みつよつもこよひ居たり、枝直怒りて、にくきやつ哉、小鳥のうせたるは是の親狐がしわざなりけり、此子狐どもとく取り捨てよとて、彼老奴して、此子狐おみな近き川に流させ、穴おうめ、ほこらおこぼち、焼きすてさせけり、しかるに其夜より彼おいつぶね、身うちぬるみほとりて、物ぐるはしくなり、えもしれぬ事どもいひたけびてあなにくのこの老奴や、わがいつくしむ子どもお流し殺して、わがすむ所おまどはしゝ事よ、いかにせん〳〵、こよひお過さずとりころしてんと、大声にさけぶ枝直聞きつけて、いよ〳〵いかりたけびつゝ、かの老奴にむかひていふやうは、狐よいましこそことわりなけれ、こゝの居処はおほやけより枝直に下し給へる所なり、枝直はあるじなり、さればほこらおおかむもおかじも、枝直が心なり、其あるじの好みかふ小鳥お奪ひはむは、ぬす人なり、やよことわりなのくち狐よ、子狐お流し捨て、ほこらおこぼたせしは、枝直がさせしなり、老奴が心よりなしゝにはあらず、うらめしと思はゞ、枝直にこそ訴へなげかめ、老つぶねに何の怨心残さむ、とくはなれよ、さらずばなほいみじきめおみすべしとせためければ、ことわりとやおもひけむ、やがてはなれにけりとそ、そのおゝしき本性、此一事にておもひやるべし、