[p.0373]
閑田耕筆

南部七の戸(へ)に六里四方計の野あり、それに年々の二月の末に狐隊といふこと有、其辺の人はさゝえなど携へて見にゆく、およそ空薄曇たる日也、あらかじめ窺ふに、狐ども出て飛ありくさまあれば、必其日にて初に二三十の狐出るお、人々高声に褒れば、頓て城郭の形顕はる、是は二丁計のかなたに見ゆ、さて甲胃お帯び馬にまたがり陣だておなす、凡二百計にみゆ、又こなたより頻に声おかくるほどに、やがて諸侯の行列おなすことふたゝび、一度は松前侯の行粧、一度は津軽侯のさまおまねぶ也、彼城郭陣立などは、厨屋川の戦の昔おまねぶ歟、此野の狐はわれらの事より外に見しることなければ也といへり、たゞこなたの見る人多ぐて、声おかくるもしげゝればかしこの人数も多く花々しく見え、人もこえも少なければさびしとなん、是も重厚まさしくみしよしかたられぬ、