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閑田耕筆

淡海八幡の近邑田中江の正念寺といふ一向宗の寺に住る狐有、其寺のために火災などふせぐことはもとよりにて、住僧他へ法事などに行時は守護して行とか、人の眼には見えねど、或時彼僧のはける草履にものおかけし人有しに、帰りて後もの陰より人語おなし、吾草履の上にありしに汚せりとて大に怒りしお、住僧夫は人の眼に見えねばせんかたなし、怒は無理也とさとしければ、げにと理に伏せりとそ、此狐の告し言に、凡吾党に三段有り、主領といふは頭にて、其次お寄方(よりかた)といふ、其下お野狐(のぎづね)といふ、人に禍するは大かた野狐也、然れども吾下の野狐にあらざれば制しがたし、所々に主領有り、もし他の主領の下の寄方、もしは野狐にもあれ、是お制すれば怨おうくること深し、一旦の怨、永世忘れざること、人よりも甚しといへりとなん、是は狐つきのことお、彼寺にたのみてとはしめし時こたへし言とぞ、凡物とはんとおもへば、書付て本堂にさし置ば、其答おまた書ても見す、人語おなして答ることも有り、形は見せず、凡住僧お敬することは君のごとくす、ある時官お進むために金の不足せるお、助力せられんことお乞ふ、住僧うけがひながら不審して、其もとの金はいかにしてもてるやととはれしに、本堂の賽銭の箱に入らず、こぼれだるお折々に拾ひ置し也とこたへしとか、常に本堂の天井に住りとなん、さて此狐に限らず、官に進むとて金お用るよしの話ども聞るにつきて、稲荷の神官達に其金の納る所おとひしに、かつて知人なし、彼等が党にての所為ありや、しられぬこと也、